SILENTSHEEP*NET > 旅行記 > ミュンヘン ロマンティック街道 > おとぎの国のような街並み ローテンブルク
おとぎの国のような街並み ローテンブルク
生きている中世都市
| date | journey |
|---|---|
| 7月23日(金)
|
8:20 München -- -- |
ミュンヘン到着翌日、2日目はICE-IC-RB×2と4本の列車を乗り継いで約2時間半、ロマンティック街道の白眉、ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)へ。
滞在中、ずっと雨と覚悟していた天気は曇り空。途中、車窓からは青空も見えてぬか喜びしたがそれも一瞬。一日、雲に覆われたがそれでも何とか崩れずに持ちこたえてくれた。
ローテンブルクは中世の昔、商業で繁栄し、13世紀に帝国自由都市となった頃には諸侯の支配に属さず独立国のような存在であった。近世に入って産業発展の波に乗り遅れたのが幸いして、美しい中世の姿を残している。
出発前に計画を練っているときから「(チェコの)チェスキー・クルムロフのような町だな」と感じていた、そのとおりに衰退のおかげで姿をとどめていることや小さな町や大きく蛇行する川や、といった共通するところの多さを確認できた。
ローテンブルクで最も美しい場所、撮影ポイントというプレーンラインも、クルムロフのラトラーン通りからお城への近道となる登城階段へと分かれる、シュヴェイク(Soldier Švejk)のキャラクターが迎えるビアレストランの建つポイントにそっくりの構図だ。
4回続けてのドイツ語圏旅行、特にチェコ、チロル、今回の南ドイツはともに近接し近隣している、当然に歴史の重なるところが大きい。
今回、特に勉強はしていないながら、浅薄な推測で相違点を探すと、城壁都市ローテンブルクの場合、見事な城壁が示すとおり近隣諸侯との緊張関係があり、また、その内部で商工業の発展による商人の町として都市の自治を得ようとした、市民の力が強かったことに対し、クルムロフの方はロジェンベルク家はじめとした強力な領主によりルネッサンス文化等の持ち込まれた、市民もそれを慕ったところなどだろうか。
酔っぱらい市長
10時48分にローテンブルク駅到着。11時に始まる仕掛け時計を見ようとマルクト広場へは駆け足で向かう。駅を降りた乗客はまばらでそんなものかなと思っていたのだが、広場にはこの日一本目の仕掛け時計を見ようと既に大勢の観光客が集まっていた。広場まではすぐと思っていたら少し距離があって慌てたが、始まった直後に無事、遭遇することができた。
仕掛け時計は三十年戦争時(1631年)、旧教軍による陥落後、破壊寸前の町を救い出した「マイスタートゥルンク」の逸話──敵将ティリー将軍と3リットルの大ジョッキワインを飲み干したヌッシュ市長──を再現している。
時計自体は小さな町の小さなものであるから感嘆するというほどのものではなかったが、今でも市民がこの記念の歴史劇を演じているというように、いい町には必ずいい祭りがあり、それを大切にしているところにローテンブルクの町の活気ある美しさが感じられた。
中世の宝石箱
そのまま市庁舎の鐘塔に登る。階段は狭く急で体格の良い人は厳しいかも。
高さ60mとそれほどの高さでないけれど、城塞都市ローテンブルクの街並み、中世の宝石箱と呼ばれるのがうなずける、とてもかわいらしい並びを一望できる。そう高くない分、広場の人達が間近に感じられる手の届きそうな距離がいい。
ちなみに普段は混雑する、展望台といっても鐘の周りを人一人がやっと通れるスペースゆえに人数制限があるということなのだけれど、このときは労せず頂上に出ることができた。
ただ間の悪いことに、ちょうど展望台に出たときの身動きもしにくい場所で雨が突如、パラパラと落ちてきたのにはまいった。「ここで降るかよ~」って感じだが、雨に濡れてしっとりした屋根や広場の人のカラフルなパラソルの競演も絵になってるね、と強引に慰めて傘を差しつつしばし鑑賞した。
2010-08-10








