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いにしえの王の道
聖ヴィート大聖堂にとどまらず、プラハ城内には見所がたくさんあって、このまま城内の逍遥を続けてもいいのだけれど、このペースで行くと一年以上かかりそう。
一処(ひとところ)にとどまっての説明だけでなく、今回は、気分を換えるべく街をざっと通り抜けてみよう。その後にまた少々、詳しく・・・のつもりで。
15世紀から19世紀、約4世紀にわたって、歴代の王が戴冠パレードを行った道。旧市街からカレル橋を渡ってプラハ城に到着する、その名も「王の道」をいざ──。
火薬塔(火薬門 Prašná brána)
王の道の起点。1475年に建設が始まったが、例により気の長いチェコ人(?)、完成までに400年を要した。元々はポーランド出身、ヴラジスラフ・ヤゲロ2世の即位を記念して建てられたものだったが、17世紀に一時期、火薬貯蔵庫として使われたため、こう呼ばれている。
火薬等は濃い黒の重厚感が非常に印象的な、後期ゴシックスタイルを代表する塔。けれども、塔の右横に、以前、紹介したアールヌーヴォー建築の市民会館が並んでいるのがまた面白い組み合わせである。
ツェレトゥナー通り(Celetná)
今ではショッピングストリート。
旧市街広場(Staroměstské nám)
プラハで最初に「市」になった中心地区。1230年、ヴァーツラフ1世の即位により、二重の城壁と堀で囲まれた「プラハ市」が造られた。当時、市壁に取り付けられていたという13の塔と門は今では形を残していないが、古い街の全ての主な道がこの昔の商いの中心に集まってくる。
ヤン・フス像を中心にティーン教会、ゴルツ・キンスキー宮殿、聖ミクラーシュ教会・・・等、広場を囲む個性的な建物はまた別途。
旧市庁舎(Staroměstská radnice)
13世紀末、経済力をつけた貴族達が請願書を出し、1338年、ルクセンブルク家のヤンが承認して町人の家を立て替えた。これも数世紀にかけていくつもの建物が増改築、改造を繰り返して、つぎはぎのようにつながった複合建築物。1945年に行政機能が新市庁舎に移転した後はレセプション(以前に述べたフランツ・カフカ賞の授賞式)等に使われている。礼拝堂もあり、結婚式場としても人気。
旧市庁舎で有名なのは天文時計。これはまた別途。
カレル通り(Karlova)
旧市街広場からカレル橋までのカレル通り(Karlova)は細く曲がりくねった道。僕らが今回、泊まったホテル“ウ・ズラテー・ストゥドゥニ(U Zlaté Studny 黄金の泉)”もここ、カレル通りとクレメンティヌムの接する分岐地点に建つ。
途中、とぐろを巻いた金の蛇の紋章を掲げた家があり。これはプラハで最初にできたカフェ「金のヘビ」。
写真にあるように、建物に据え付けられている赤い標識が
KARLOVA(=カレル通り)
STARÉ MĚSTO(=旧市街)
と、通りの名と地区名を表しているので、現地マップがあれば目指す場所へも迷わない。
カレル橋(Kaflův most)
ヴルタヴァ川にかかるカレル橋(Kaflův most)はプラハ最古の美しい石橋。日中、世界中からの観光客で絶えない。
両側の欄干には30体の聖人像が立ち並ぶ。全30体、紹介編がこの先あるかどうか・・・。
マラー・ストラナ(Malá Strana 小地区)
橋を渡りきるとマラー・ストラナ(Malá Strana 小地区)。ここで生まれ育ったヤン・ネルダの『フェイエトン』は郷土愛にじむ短編集(読み終えたのでこれまた別途)。
マラー・ストラナ広場(Malostranské nám)
トラムが大きくカーブする停留所。広場の北側にあるのはリヒテンシュタイン宮殿(Lichtenštejnský palác)。にぎやかな通り沿いにはカフェやバーもたくさん。
プラハ城入口
正門両脇には「戦う巨人の像」。右側は大きな棍棒を今まさに振りかざそうと、左側は鋭い刃物を突き降ろそうとしている凄まじい姿の彫像。その下には直立不動の衛兵が立つ。
ここをくぐって第一の中庭に、さらに第二の中庭をくぐる段階でもまだ聖ヴィート大聖堂は姿を現さない。最後までお楽しみとなっている。
次回はまず、旧市街と小地区(プラハ城の足元)を結ぶカレル橋について
2007-11-03









