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いくら足が速くても...

今の業務は係内の協議も多いのだけれど、よく感じるのは、きこえない者(聾者)がこうした会議だとか協議に参加するのは、見えない者(盲者)が単独でサッカーのゲームに参加するようなものではないか、ということ。

チームで一つの目的に向けて議論するのは、敵こそいないけれど「コミュニケーション」という「ボール」を回しながらゴールに向かってゆく行為に似ている。

盲者が晴眼者のプレーするサッカーグランドに入って、「声がする」「プレーが行われている」ということが耳できこえて分かっても、動きようがないのと同じ。きこえない僕も、目の前で熱い議論が交わされているのが分かっても、そこに加われない。お手上げの状態だ。

盲者がピッチの上で突っ立っていることしかできないだろうように、聾者も目の前でどんな言葉(やりとり)が交わされているのか分からなければ、途方に暮れるしかない。

もちろん、できる範囲でのサポートを受けていて、それはそれで非常に有り難いことなのだけれど、やはり一時的限定的であるし、ゲームのスピードにも追いつけない。何より周囲もまずは一人のプレーヤーであるからサポートにも限界がある。ピッチの上に立つ選手が盲者に付きっきりということがないように。

いくら足が速くても、リフティングが抜群にうまくても、威力あるシュートを打てる力があっても、状況が分からなければ、ボールが見えなければ、ゲームでは力の発揮のしようがない。

ピッチの上で大切なのは、ボール(コミュニケーション)の動く状況をその都度、把握しながら、次に来る動きを予測し、それに備えて対応すること。瞬時に自ら考え、判断し、行動すること。その繰り返しの中で、いかにいいパスが出せるか、いい位置で受け止められるか。基本はボールパス(コミュニケーション)だ。

盲者が聴者のゲームするサッカーのピッチの上に立っている、というのはあくまでも例えとして引いただけであるけれど、聾者にとっては例えではなく、会議に限ったことでなく、日常がこうなのである。きこえないというのは、こういうことである。



余談:

「音のない世界で」の前回のエントリ

背押す上司増やせ/音のない世界で

からは2ヶ月近く経っていた。今日、検索エンジンからの訪問を不思議に思ったら、サブプライム問題でメリルリンチが高額の損失を出した・・・というニュース関連なんだね。自分でもつい前回のエントリ内容を忘れているので、読み返すいいきっかけになってくれる。



2007-10-25


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