晴れでも雨でも曇りでも、風が吹いても吹かなくても、とにかく異様な蒸し暑さは変わらなかった。当日の天気がどうなるか、多少は気にしていたが、さほどの関心はなかった。というのも、どう転んでも蒸し暑くなることだけは、現地入りしてみてはっきりと分かっていたから。
朝でも夜でも、外に出れば立っているだけで汗がまとわりついてくる国だった。建物の中はどこも過剰過ぎるほどの冷房をきかせていた。地元開催でも男女ともにマラソン選手がいなかったように、町の中を走るという文化はまだなさそうだった。地元の人にマラソンを走るといったらたびたび驚かれた。
スペシャルドリンクの給水テーブルは最初、国別に分けられるとのことだった。ついで男女別にも分けられるとのことだったが、そうなっていなかった。日本チームの勘違いだったのかもしれない。男女別、国別なら女子は何も考えないでいい。男子は3人の区別がつけばいい。
スペシャルは僕と女子は現地入りしてからペットボトルでつくった。ちなみに楽屋オチならぬこぼれ話になってしまうのだが、せっせと空きペットボトルをためて部屋のテーブルの上に置いていたら、ルームクリーニングで見事に捨てられてしまった・・・。
男子2人は日本から持参してきた。マスタードやケチャップ等に使う、よくある調味料ケースで飲みやすいタイプ。二人のが似ているから、自動的に僕のは分かるはずだった。
ところが、そうなっていなかったから、5kmの給水地点に近付いて不意を突かれた。頭の中にある男子2人の容器を最初に見つけて、その次に目に入ったものをつかんだら、それは女子のボトルだった。
すぐに気付いて手を放し、路上に落とした。振り返りざま「間違い!」と叫びつつ手話で伝えたのだが、手話の違う上、必ずしも役員(地元の学生ボランティアら)が手話が分かるわけではなかったから、意味が分かってくれたかどうか──。心配になりつつ、心の中で女子選手に詫びつつ進んだ。レース後に確認したら、分かってくれたようで、テーブルに戻しておいてもらえたようでよかった。
ついでにこのとき初めて後ろを振り返ったので、後続と少し距離があり、もう後ろも集団でないことを知った。
異常なほどの蒸し暑さの中のレースであるから、給水のミスは命取りになる(=比喩ではなく、間違いなく簡単に脱水状態になる)。次の7.5kmのスポンジまでが長かったこと。1kmごとの距離表示がない分、分かるのは5kmごとの給水ポイント、及びその中間のスポンジ箇所。夜の打ち上げでも話題になったが、横に海が広がるほぼ真っ直ぐなコースの、ほとんど集団もばらけての走りであるから2.5kmの距離さえ非常に長く感じられたことといったらなかった。
以後の給水地点では少し減速してでも慎重に確実につかんだ。「おぉ〜、生き返るぜ」と走りながら独り言ちしていた。
スポンジはすぐには捨てずに、しばらく持って走った。顔、首、腕、足・・・と汗をぬぐいつつ水を掛け、最後の一滴まで絞りつくした。
これまた夜の笑い話になったが、折返してから後半のスポンジが含んでいたのは、もう水ではなく熱いお湯になってしまっていた。
デフリンピック男子マラソン勢3人は次は福岡国際でまた会うことになっているのだけれど、一足先に僕は今日、福岡へ。本当は2、3ヶ月に一度は一緒に妻の実家へ帰ってやりたいのだけれど、昨年の暮れ以来9ヶ月ぶり。
市内は再来週のシティマラソン福岡開催に伴う交通規制の看板が掲げられていた。そのルートコースをまさしくそのとおりになぞって向かった先は発着点のヤフードーム。
バスや地下鉄から歩いて向かう今日のゾロ人出は、メガホンを持ちお気に入り選手のユニフォームを着たホークスファンでなく、上下ジャージとリュックで向かうランナーでもなく、女女女女女女・・・。
そう、今日は妻にとっても主人より大切な嵐のコンサート日であった。
行きがけ、スーツケースのコロ(キャスター)がひとつ壊れかけているのに気付く。
特に帰り道、背中にリュック、両手にお土産、肩に重たいパソコンを抱えながら30kg超になったスーツケースが押しにくくて難儀させられたこと・・・。
次はもうムリだなあ、と思いつつ、明日は月イチの不燃ゴミ回収日、のおまけに地区の当番として立つ日。
昨日の今日で捨ててしまうというのも何だか薄情なようにも思えるのだけれど、ちょうど5年前の前回メルボルン大会を前にして買ったスーツケース、2大会分+その間の欧州旅行や人に貸したり、もあって充分活躍してくれたので、感謝しつつお別れしてしまおうと思う。
今時、貼る人の少ないステッカーも結構、気に入ってたんだけど、スーツケースいっぱいに詰め込んだ、いや、締め切れなかったくらいの想い出を持ち帰ったことにして──
特にマラソン組は遅れての現地入りで開会式に出ていないことに加え、「離れ」での滞在で大会の雰囲気を今ひとつ感じられずにいたから余計に初めての感動を強く味わう。
台北でのデフリンピックに対する熱烈歓迎ぶりを3日前に記したけれど、あれは翡翠彎(台北市でなく台北縣)でのことであって、こちら(台北市)に来てみると生活の中に入り込んでいるデフリンピックへのホストぶりはあの時に記した数倍以上の内容がある。
閉会式も素晴らしく立派な大会。これまでの大会と比べてどうこうというレベルをはるかに超えて、今後将来、この内容を越えることは難しいだろうくらいの演出に興奮させられた。
レース当日まではやや侘びしく、そしてレース後の余韻をゆっくりと味わう間もなく宴も終了。経験あるマラソンメンバーにとっては「本当にあっという間」の数日間、もう少しこの大会を、この国を味わってから帰りたい思いが強い。
まあでも短かったからこそというか、名残惜しさの度合いが旅の感慨の深さに比例するというか。
デフリンピックの運営を支えた台湾(台北)という国あげての熱心で誠実で懸命な国民性に触れた、知ることのできたことが自分の競技成績以上に大きいものを胸に残してくれた。忘れられない思い出になると思う。
近付いていた台風の影響でこの日の気温は低く、少し涼しくなるかと思わせた期待を裏切り、きれいな青空が広がった。
スタートライン前方に陣取る応援の陸上チームからは選手一人一人の名前や似顔絵までもが掲げられた(翌朝の新聞にも掲載された)。国旗や色紙にメッセージを寄せてくれたりと本当に形ある、心のこもった応援を示してくれるのが日本。
号砲後、やや間をおいてケニアの選手他アフリカ勢がすぐに抜け出す。1km手前で長さ1km超のトンネルに入るまではしばらく第2集団を形成していたが、トンネルを抜ける頃には南アフリカ2名、フランス、スペインの選手計4名がペースアップして離れていった。
トンネルを抜けてから3km前後で自然に抜け出す感じで僕も集団から離れた。1kmごとの距離表示がなく、どんなペースで走っているのか分からないが、たとえ時間や距離の分からない中でも普段から一定のペースで走る自信は持っている。一人旅はいつものことで集団に身を置くつもりは最初からない、自分の感覚だけを信じる。
ただ第2集団のペースは相当に速く、これも一気に離されてしまった。後ろも当然、付いてきていると思ったが、しばらくするもその気配はないようだった。以後、一人で走り抜くことになった。
前夜7時半に就寝して14日当日は2時半、マラソンコーチに身体を揺すぶられて目覚めた。よく眠れたようだ。
前夜のマイルリレーが終わってから翡翠彎ホテルに駆けつけてくれた監督、トレーナー、調理担当スタッフらが夜を徹して作ってくれたおにぎり、味噌汁で朝食。
最後にスペシャルドリンクを容器に移し替えてホテルを後にする。滞在中、部屋の前にずっと張り付いて僕らの行動を監視、警護してくれた台湾警察官らともお別れ。「ご苦労様でした&行ってきます」の気持ちで敬礼。
台北市からバスで乗り込んできた他国選手、また応援に駆けつけてくれた陸上チームらの控えている中、朝5時過ぎ、まだ暗い中でももう既に熱気のうずまいているスタート地点に身を置く。
最終コール、簡単なアップと慌ただしく済ませ、明るくなった頃、レースシューズに履き替え。軽く流してみると非常に身体が軽い。5千か1万mのレースなら好記録が出そうなほどにバネがきいている。マラソンのスタート前に身体が軽いのはまずいが、重たいよりかはよいことだとする。この日のために体調を合わせてきた。調整、ピーキングははほぼうまくいったのだから。
スタートラインに並ぶ前、日本選手団4名で健闘を誓い合い、カメラに収まる。駅伝の生まれた国柄、どの国よりも日本チームの結束は固い。そして見守ってくれる応援団も一番、多い。

