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第29回団結駅伝

2003/02/15 セミナーパーク周回コース

10年連続10回目、駅伝通算40回目の節目

先月の山口市駅伝でふと気付くと、駅伝出場が38回目であった。翌週の中国山口駅伝を経て、ついに今回、通算40回目。さらにこの団結駅伝も10年連続10回目。

十年一昔というけれども、よく続けてこれたものだなと思う。駅伝の場合、昨年もそうだったけれど、体調が悪かろうが何だろうが簡単には欠場できないから、こうして律儀に続いてしまう。ちょっと惜しく思えるのが、ずっと1区を走っている中、5年目だけ2区に回ったこと。この年、重度の貧血だった(3キロ弱の距離をキロ4分切れなかったほどの)せいだ。大会自体は来年で30回になるはずだが、一足早く、僕には今年が節目となる大会になった。

10年目、そして今年は年男。ここは大いに奮起せねば──。

コンディションは良好

10年間の変遷、気持ちの変化も出てくる。まだ維新公園コースだった最初数年は、当時若かったこともあり、試走までして本気になった。やがて慣れてくると、エースの集まる1区は順位の想像もつくようになる。お互いの実力を知る職場の大会ゆえで、意欲もやや欠けるようになった。ここ2年は、年末の防府読売、年が明けて中国山口駅伝、そして別大、と緊張の続くレースを走るようになった。コンディションを合わせるのが(疲労の取れるのが)難しくもなっていた。

マラソンを走ると僕の場合、その後に一度、必ず体調を崩す。風邪をひいてしまう。マラソンに向けピークに達していた緊張感や疲労が一気に出てしまうせいだ。昨年は運悪く、この団結駅伝の前日午後に突然悪寒が走った。今年は、別大後、5日目に襲われる。これがちょうど良かった。体調を崩すことが分かっているなら、早いに越したことはない。『整体入門』で有名な野口春哉の著書で『風邪の効用』というのも最近、復刊されたようだ。体調を整えるために、あえて風邪をひくべき時期をつくるというか、一度ダウンしておくのも一法だと僕も思う。

おかげでコンディションは非常にいい。4日前の市民ロードレースでも別大後の疲れを感じず、好調さが維持できていた。さらにマラソン後、突然襲ってくる脚の痛みもなぜだか今回はない。恐いくらいだ。今回のレースほど、当日を迎えるのを楽しみにしたことはない。走れる喜びに胸が高鳴った。レースを楽しみにわくわくするなんて久しぶりのことだった。

1位を狙うが・・・

スタート前
スタート前

この体調なら──、今年こそ1区で1位をとってみたい。9年間、ずっと一桁順位でこれた。2位、3位入賞というのもあった。でも1位はない。2区にまわった6年前が区間賞だったけれども、1チーム5人、全員が走る練習をするわけでもない職場対抗の駅伝で、唯一エースの集中する1区と、それ以外の2~5区とでは区間順位の価値は全く違う。

今年のこの好調なコンディションを逃したら、もう二度とチャンスはないだろうと思った。そして、今年こそ必ず取れるという自信もあった。

けれども──、今回また・・・。昨年に続けて再びの2位。7年前を合わせて実に3度目の2位。

スタート直後に飛び出した選手がそのまま1位でゴールした。

「こいつ、誰?」この選手のことを僕は知らなかった。

バルセロナオリンピックの平泳ぎ200mで岩崎恭子がまさかの優勝を果たした時、

スタート後、トラックを2周
スタート後、トラックを2周

“Iwasaki? Who?” と周囲が驚いたように。

でも今回違うのは、単に僕が知らなかっただけのこと。実力の差は歴然だった。組合の実施する駅伝大会、陸上部のみならず、走ることの好きな職員はほとんど知り尽くしているつもりが、でも、瞬間風速的に現れる、力の飛びぬけた選手がこうして時にいる。臨時職員、嘱託職員等で一時的に県の機関に所属する彼ら。

実は7年前の2位もそうだった。初出場から3年目、陸上部にもまだ所属せず余計な他の大会に出ていなかった分、この駅伝に向けて燃えていたときだった。あのときもスタート直後に飛び出した1位の背中を見て、一気に力が萎えた。

「なんで彼がここにいるんだ?」と。

もちろん、一時的な所属とはいえ、正当に働いているのなら、彼らにこの大会への参加資格のあることは承知している。僕の方にどうこう言えるスジはない。それは重々分かっていて、なお、ぼやきたくなる──何も僕の調子がいい時をねらって出てこなくったって・・・。

トラック前の坂
1周回目で差

7年前と違い、今年飛び出した彼の実力は知らなかった。最初だけかと思ったら、半分走らないうちに30m近くの差をつけられてしまう。追い抜いてやろうという気持ちを切らさないつもりが、この時点で追いかける意欲をそがれてしまった。今年こそ、の気持ちが大きかったから、走りながら悔しさに泣けてきた。

タイムは躍進

自信のあったとおり、今年のタイムはすこぶるいい。 13分51秒。この大会が今のセミナーパーク周回コースに変更された6年前、初めて走ったときに比べて1分42秒、さらに年々短縮してゆき過去最高だった昨年よりもさらに53秒短縮した。調べてみたら、セミナーパークでの現行コースになってから過去6年間、例年1位のタイムは14分30秒前後。区間記録は一昨年、2001年に宮崎君の出した14分23秒。今年1位の彼と僕が初めて13分台に突入した。自分でもまさか、ここまでいいタイムだとは思わなかった。「クロカン芝コースでのこのタイムは相当なもんだ」と自分でも驚いている。

それでも、2位・・・

4日前の市民ロードレースも2位だった。2位ばかりが続くだけに本当に悔しい。 客観的なタイムと違い、順位ばかりは運によることも経験で知っている。7年前も今年も、運が悪かったといえばそうかもしれない。どちらもタイムはものすごく良かった。タイムだけなら、十分ほめられた。

でも、レースというのは競争。順位、結果が全て。特にレースを見ている人間にとっての関心は、「トップが誰なのか?」「誰が何位でやってくるのか?」そして「どれだけ差があくか?」ということ。1分タイムがいいとかどうとかなんて誰も考えない。よく言われるように、1位と2位の差は大きい。僕もいやというほど思い知らされている。

どうも僕は2位が多い。それは自分に力が足りない、運が足りないだけではない、別の何かがまだ足りないということだ。

十年一昔

月日 区間 距離 タイム 区間
順位
所 属 チーム
成績
1994 2/5 1 4.53 15:28 7 教職員課 15/146
1995 2/4 1 4.53 15:20 6 50/152
1996 2/3 1 4.53 14:58 2 51/161
*以上、維新公園周回コース。翌年からセミナーパーク・クロスカントリー周回コース。
1997 2/1 1 4.36 15:33 4 会計課 4/165
1998 2/7 2 2.6 9:03 1 21/154
1999 2/20 1 4.36 15:18 8 13/159
2000 2/19 1 4.36 15:05 3 8/153
2001 2/17 1 4.34 14:49 3 統計課 33/142
2002 2/16 1 4.34 14:44 2 21/148
2003 2/15 1 4.34 13:51 2 53/165

後日譚

1位の彼が誰だったのか、結果一覧の名前を見て初めて知った。昨年から方々の大会で活躍している、県下でも名の知れた選手だ。でも下関で生活していると思っていたのに、いつの間にか所属も変っていたのか・・・。順大出身で箱根も走ったことがあるという。 

面識はないけれど、素性を知って再び悔しさがこみ上げてきた。余裕しゃくしゃくで、応援の多くなる箇所、何度も右手を振りかざしながら走っていた彼。背後で見せ付けられる僕は悔しさをかみしめるしかなかった。彼にしてみれば、この程度の大会でトップを走ることなど朝飯前、お茶の子さいさいなのだろう。今にして思えば、むきになって追いかけようとした僕など、軽くあしらわれていた、ということだ。僕が、というより大会がなめられたようなものだ。メジャー・リーガーに乗り込まれた一昔前のプロ野球のように。

彼を擁したチームはオープン参加ということで、1区の区間賞が棚ボタ的に転がり込んできた。悔しさが消える訳ではないが、素直にありがたくいただいた。

過去9年の1区1位は順に山家、佐伯、内田、山田、河本、山内、河本、宮崎、古林(敬称略)。もちろん皆、陸上部。これで僕も目標としてきた陸上部メンバーの彼らに列することができたといえようか。これはとても嬉しい。

さらに後日譚──

結局、1位の彼は出場資格さえなかったことが判明(最初から分かっている人は分かってたみたいだが・・・)。7年前と合わせて僕にはこれで、本来1位のはずが、の釈然としない2位・・・。よくよく運がない。

どうも宇部市駅伝でも同じように走って他選手から指摘の声が度々あがっているという(それで宇部市は厳格に対応)。本人にすれば「たかが地方の駅伝・・・」と軽い気持ちだったんだろうが、箱根を走るような選手には実力以上に学生時代に学んだはずの競技に対する姿勢やマナーを示してほしい。



2003-02-22


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