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何のために「働く」のか
他者からのアテンション
第6章では漱石の「それから」を引いて働くことの意義を問う。
人がいちばんつらいのは、「自分は見捨てられている」「誰からも顧みられていない」という思いではないか。
「人が働く」という行為のいちばん底にあるものは、「社会の中で、自分の存在を認められる」ということ。
この至極もっともな真理を実感することがきこえない者には難しい。決して見捨てられている訳ではないけれど、実質的にはそれと同じ状況に置かれざるを得ない。今、ここに「私」がいるのにことばが届かないことで相手にされずに味わう疎外感、孤立感。
今日も外部の業者の方がずらりと並ぶ場での会議。そして明日も──。電話でのやりとりもしょっちゅう。たまになら代わりをお願いできても(感謝しきり)、一日に十回もそれ以上もあるとお願いする方もされる方も心痛が大きくなってくる。電話の向こうの相手も「私」を必要としなくなる。
会議や電話を抜きにした仕事はあり得ない(ずっと以前も述べた)。きこえない者には、それらのない仕事を割り振ればいい、といっても、「コミュニケーション・ワークス」として「あらゆる仕事がサービス業化しつつある」と本書にあるとおり、「人と関わりのない」仕事は考えにくい。そもそもが仕事は人と関わりを持つことであり他者を相手にするものだから。
みんなぎりぎりのところでやっていると思うけれど、これまでも、そしてこの先もずっと・・・の精神的負担は計り知れない。
社会で生きるためには他者から何らかの形で仲間として承認される必要がある。
著者はそれを「アテンション(ねぎらいのまなざしを向けること)」と定義して、「他者からのアテンション」「他者へのアテンション」こそが「なぜ働くか」の答えとしている。
何でもないことのようでいて、その前提にたどりつけない懊悩の続く、僕にとっての「働く」ということ。
満足度:★★★★
2008-07-09








