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ことばは誰かと出会い仲間となるための道具
重厚な教育論、障害論
7月に読み始めてから、ようやく読了。非常に興味深く考えさせてくれる内容だったので章ごと、節ごとに立ち止まってはメモしていたら計13回に渡ってしまった。
聾、難聴教育に深く関わってきた著者の、聴者でありながらろう者、難聴者の心理、心情について微に入り細を穿つ分析には、本書の中で繰り返し述べられているように、聴覚障害者自身、目を背けたい、認めたくないものばかりである。それでも厳しい指摘の中にも著者の深い洞察、本質を見抜いてこその言葉が力強い。
なぜ私だけがきこえないのか?
難聴であれ聾であれ、きこえない子が必ず突き当たる悩みであり、成長してからもずっと考え続ける、一度は乗り越えられたようでも人生の途中で何度も揺り戻され、繰り返し襲われ続ける問いである。
「きこえない」という障害(聴覚障害)が他の障害と決定的に異なるのは、自己の内面に直接的に「苦しみ」をもたらす度合いが大きいという点。
以前、「聴覚障害は果たして「身体」障害か?」とエントリしたことがあるように、身体の機能が欠損しているというよりも、むしろ、心的な苦しさをずっと抱え持つことに最大の特徴がある。情報が入らないという第一次的な「不便」性もあるけれど、より深刻なのは第二次的な「心理」面での悩み、苦しみ、葛藤・・・だ。
それはとりもなおさず、情報の入手に制約があるとか、移動に支障があるといった点でなく、「ことば」を介して人と交わることができない点から、「自分が社会で生きている存在」について深く悩むことである。
- 人間関係が築けない
- 人間関係を失ってしまう
- 人間関係が破綻する
人間の存在論に関わってくる。本書中にも聴覚障害児が成長し、青年期に移行する際「アイデンティティ・クライシス」に陥るとの記述が多数、出てくるように、特に青少年期には自分の存在について把握しようにも把握できない、パニック状態になってしまうほどの強い不安、動揺に包まれてしまう。成人であればノイローゼ(今風にいうと鬱)をもたらす。
僕自身についてもそれは当てはまることであるし、同障の仲間には本当に重症者が多いのだ。まさに著者のいう「存在論的な悩み」であり、ゆえに本書でも「アイデンティティ」の問題が最重要的に説かれている。
最初に書いたように、本書は聴覚障害児を対象とする教育論を扱った書であるけれど、それだけにはとどまらない(とどまりようがない)、この障害に向き合う本質という上での非常に有用な示唆を与えてくれるものであったた。「音のない世界で」に掲げているように、「生きることと考えること」をかみしめさせられた分厚い書であった。
私たちはことばを奪われるということで愛する者と共に過ごしたかけがえのない時間に関する記憶を奪われる。それは生きた証を奪われるということに他ならないのではないだろうか。そして、これはホロコーストの問題に限ったことではないだろう。「ことばを奪われる」ということの辛さは、正に聴覚障害児たちが医療や教育の中でこうむった問題でもある。
満足度:★★★★
2008-11-09








