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根気強く
アイデンティティを問い続ける
第2章「学習論」の5~7節は各地での講演録を加筆修正したもので、主要なところでは共通している、持論の繰り返しとなっているが、飽かせることなく興味深く読ませる。「アイデンティティ」が多用されていることから、僕も続けて記してみよう。
聴覚障害児には、自己の「障害」という状況をどのようなものとして自分に向かって深く意味づけていけるかという重要な問題があります。
「私にとって、そもそも障害とは何か」
子どもたちがぶつかる問いとしては非情なまでに厳しく、残酷な問いである。
すべての現実的問題の源であるのがこの問いです。学力、言語力、人間関係等の具体的問題はすべてこの問いが現実の中で姿を変えたバリエーションであるということです。
将来、必ず生じてくる聞こえない人間としてのアイデンティティの苦しみ・・・
自らのアイデンティティの意味を探索する作業は社会人になってからも続きます。つまり、勉強は死ぬまで一生続くということです。
まさに僕がこのブログ(の前身のホームページ)開設当初に記したこと。
「きこえない自分」について感じること、考えることは尽きない。様々な考えが放射線状に拡がって収拾がつかない。
まず驚くのは、僕が当事者であるからこそ身に迫ってくる内容を、同障者か近親者でなければ理解しにくい思いを、聴者である著者がここまで理解し、本質を見抜いていること。
「聞こえない」ことをいたずらに強調しようとしているのではない──著者もこう述べているように、また、自分でも充分にその(強調しすぎること)きらい、マイナス面も自覚しているのだけれど、平坦にやり過ごすことができない。
一例でいえば、先日も触れたけれど、この悩みを理解し、相談できる相手が限られている(皆無に近い)こと。そのような器を見つけることができない。
実際に相談してみていつもそうだから。本質に近付けないまま最後に「他に悩みはないか?」と問われて、あらためて自分で「他には何もない」ことに気付く次第である。頭が悪いとか容姿が醜いとか経済的な成功や名誉がないとか健康面に不安があるとか・・・。決してそれらを備えているのでなく、たくさんのコンプレックスはあってもそれらは引き受けてゆけるレベルのものである。
対して、きこえないことは前節でも触れられたように、基本的に人は「助けてくれない」中で自分一人で引き受けてゆかねばいけない、一生、格闘し、問い続けてゆく対象である。
2008-08-14








